「主を待つ父」  03−06−01
           ルカ8:40〜56

 信仰者の歩みは、多くの恵みを与えられながらの歩みです。
しかし、そこには自分にとって予想外のことが一つも起こらないと
いうのではありません。私たちの願いよりも神さまのご計画が重んじ
られて、事柄が進められる時も当然あるからです。しかも、その方が
ずっと最善に至ることなのです。予想外のことに出会い動揺する
ことのある私たちに、主は「恐れることはない。ただ信じなさい」との
み言葉を与えてくださいました。この言葉を抱えながら、私たちは
信仰者としての歩みを進めるのです。

 聖書に登場するヤイロという人は、会堂長という身分に
ありました。ユダヤの社会で宗教的に信用されていた人です。
ユダヤの宗教的指導者たちは、主イエスを疑い、批判的に見て
いましたから、会堂長のヤイロも同じ立場にいるはずでした。
 ところが不思議なことに、自分の娘が危篤の時に、主に助けを
求めたのです。会堂長という身分をかなぐり捨てて、主にひれ伏す
決意を与えられたのでした。そして、そのようなヤイロと一緒に主は
歩みだしてくださったのです。

 主と共に歩みだしたのもつかの間、群衆や病の女がヤイロの
行く手をさえぎりました。予想外のことでした。ここで待たされる
ことは、ヤイロにとって苦痛であったでしょう。しかし、ヤイロは、
主イエスと病の女性を見ながら気付かされました。
 主が、すがる者をしっかりと受け止め、恵みの力で満たすお方だ
ということにです。そして、自分にとって主がどうしても必要だとの
確信を深めていったに違いありません。予想外の時は、主への
確信を深める時でもありました。

 家に着く前に危篤の娘は死んでしまいます。もうどうにもならない
という、周囲のあざけりの中でも、ヤイロは「恐れるな。信じなさい。」
との主の言葉を抱えて進んでいきます。主は、やっぱりそこでも
恵みの力で満たしてくださり、娘は救われました。

 
主と共に進む歩みは、確実に救いに向かって進む歩み
なのです。私たちは、このことを信じて疑いません。